国境石散歩 国絵図に見る国境石と国境の小名 丹波国絵図編の未公開部分だった山城国境です。府境越えを水色で・郡境越え をピンクで表しています。 |
丹波・近江・山城の三国境である三国岳から進めます。 桑田郡芦生村(園部領/南丹市美山町芦生)と愛宕(おだき)郡久多上村(旗本朽木氏知行地/左京区久多上の町)が国境となりま すが、両国絵図に顕著な往還や国境の小名は見えません。 山城国内の話になりますが、山城国絵図には愛宕郡八舛村(三雲施薬院領/左京区花脊八舛町)から大慈山(峰定寺)を経て同郡 久多宮谷村(旗本朽木氏知行地/同区久多宮の町)への往還(赤線)が描かれ、「こくど峠上り坂五町三拾間(約600m)難所牛馬不 通」とされています。 山城国内の往還ですので、広河原(後述しますが丹波国)を経由する現府道110号線(能見峠/久多峠)ではありません。もっとダイ レクトに峰定寺から宮谷村への道があったのでしょう。峰定寺の南を川沿いに伝い(A)、久多宮谷村へは西から入っていく(B)ようです が、地理院地図上の現在の道の両端(A)と(B)は直線距離で1.3Kmありますので、牛馬が通えない難所はその半分だったようです。 また、愛宕郡小出石村(典薬頭半井家と勝林院の相給/左京区大原小出石町)と同郡百井村(旗本朽木氏知行地/同区大原百井 町)をつなぐ往還にも「この坂牛馬往来なし但し上り坂七町弐拾五間(約810m)」とされています。小出石〜百井間にはこちらの道も見 えますが、百井村には西から入っていくようなので国道477号線になりますでしょうか。 〇桑田郡広河原村(公料/左京区広河原各町)と愛宕郡八舛村(前述)を結ぶ 腰掛岩 天保の山城国絵図では元禄の山城国絵図には描かれてない原地新田(三雲施薬院領/左京区花脊原地町)が見えます(角川日本 地名大辞典 京都府京都市 原地新田<近世>には、原地新田の成立は「宝暦13<1763>年の検地による」)。現在の府道38号線 広河原杓子屋町と花脊原地町の左京区内の町丁境が丹波・山城の国境 腰掛岩となります。元禄の丹波国絵図には線で岩状のもの を表しているように見えます。天保の丹波国絵図では墨が薄いのですが、より岩らしく描かれています。 広河原村は丹波国桑田郡の村で、明治22年の町村制により周辺6村と合併し北桑田郡黒田村となります。黒田村役場は宮(宮野 /現在の京都市黒田トレーニングホール)に置かれましたが、広河原からは現在の府道38号線を経て国道477号線を伝う道しかあ りません。仮に能見口のバス停から黒田村役場まで歩くとするならば13Kmの道のりですが、ちょうど半分の6.5Km地点に花脊村役 場(昭和24年に京都市に合併し左京区役所花脊出張所)があり、その前を通り過ぎ倍の距離を歩き黒田村役場に向かうことになりま す。 さらには昭和30年に黒田村は周辺村と合併し京北町となりますが、京北町役場は旧周山村(現右京区役所京北出張所)に置かれ ましたので、能見口バス停地点からは黒田村役場までのさらに倍の26Kmも離れてしまいます。 昭和28年には京都市内から能見口までのバス路線が開通しましたが、京北町方面には交通の便がなく、住民から京都市への編入 の声が高まり、昭和32年に京北町から離脱し京都市(左京区)に編入します。その後平成の大合併で京北町が京都市と合併し右京 区となりますので、丹波国・桑田郡・京北町・黒田村のうち広河原のみが左京区の所属となっています。 なお、山城国愛宕郡の八桝村(原地新田域を含む)・別所村(三雲施薬院領/同区花脊別所町)・大布施村(同/同区花脊大布施 町)は角川地名大辞典 京都府京都市 各村(近世)に「古くは丹波国桑田郡であったが、正保2年の国絵図では山城国の内と見え る」とされていますので、江戸以前のいずれかの時点で国堺変更があっているようです。 〇桑田郡山國上黒田村(禁裏<天皇>御料/右京区京北上黒田町)と愛宕郡大布施村(前述)の内鎌倉村を結ぶ 鎌倉谷 川沿いの道とされており現在の国道477号線が該当しそうです。ちょうど国境あたりで大堰川(桂川)に注ぐ川が「鎌倉谷川」とされて います。 〇桑田郡芹生村(旗本杉浦氏知行地/右京区京北芹生町)と愛宕郡貴布祢村(貴布禰神社除地/左京区鞍馬貴船町)を結ぶ 芹 生峠 府道361号線芹生峠。角川地名大辞典 京都府京都市貴船村(近世)には「芹生峠を越えて丹波国黒田村・広河原村と通じる丹波 道が貴船川沿いに走り、(貴船村は)黒田村・広河原村で産する炭の集積地として栄えた」とされています。 〇桑田郡山國井戸村(禁裏御料/右京区京北井戸町)と愛宕郡雲ケ畑出谷村(仙洞<上皇・法皇>御料/北区雲ケ畑出谷町)を結 ぶ、丹波国絵図(天保・元禄とも)及び元禄の山城国絵図には国境の峠・小名の記載がありませんが、天保の山城国絵図では そふ 谷峠 地理院地図には祖父谷峠の記載があります。なお、祖父谷峠を挟み、雲ケ畑出谷町から賀茂川(鴨川)へ流れる川も、京北井戸町 から大堰川(桂川)に注ぐ川もどちらも祖父谷川とされています。最終的に両川は桂川から淀川の流れになります。 〇桑田郡山國辻村(旗本杉浦氏知行地/右京区京北辻町)と葛野郡西河内村(仙洞御料/北区大森西町)を結ぶ 茶呑峠 地理院地図に記載の茶呑峠。山國中江村(杉浦氏知行地/右京区中京中江町)ではなく辻村とつながるとされていますので、地理 院地図で見たこちらのルートになるのかもしれません。茶呑峠の由来はわかりませんでしたが、地図で見ただけでも茶飲み気分で越え られるほどの簡単な峠ではなさそうです。 〇桑田郡余野村(篠山領/右京区京北細野町余野)と葛野郡中村(仙洞御料/北区大森中町)の間には、天保の丹波国絵図・元禄 の山城国絵図には明確な往還(赤線)は描かれず、ただ両村間は10町50間(約1.2Km)であることが記されています。元禄の丹波 国絵図には両村を結ぶ往還が描かれ、天保の山城国絵図ではこの峠は山坂越であるとされています。 地理院地図で見ますと近隣には伏見坂と雲月坂の2つの道が見えますが、伏見坂は大森西町(西河内村/前述)とつながっていると 言えそうなので、該当は雲月坂となりますでしょうか。雲月坂ではかなり大回りになりますので、もっとダイレクトに余野と中村(大森中 町)を結ぶルートがあったのではないかとも思いますが、両町(村)は直線距離で計ると850mくらいしか離れておらず、それでは少し距 離が足りないような気もします。 〇桑田郡細川瀧村(二条家・篠山領相給/右京区京北細野町)と葛野郡上村(仙洞御料/北区小野上ノ町)を結ぶ 笠峠 地理院地図では国道162号 笠トンネルの上に笠峠が描かれており道もついているようですが、丹波側・山城側どちらからも私道で あるとしてゲートが閉じられているそうです。旧道は山林組合などに払い下げられたのでしょうか。地理院地図ではトンネルのすぐ西に 集落名として「滝」の記載があります(住所は小字単位になっていて、字としての滝は見つけられません)。 〇桑田郡田尻村(細川田尻村とも/二条家領/右京区京北町細野田尻)と葛野郡中嶋村(神護寺領/右京区梅ケ畑中嶋町・梅ケ 谷高雄町・梅ケ畑谷山川西他)を結ぶ 松尾峠。 旧京北町と旧梅ケ畑村が丹波・山城の国境となりますが、現在はどちらも京都府右京区の所属です。田尻村はすでに廃村となってい ますが、田尻谷川が細野川へ合流する地点から上流2Kmほどにあったとされており、田尻谷川と田尻峠への分岐のあたりに村があっ たようです。田尻峠は葛野郡中川村(西明寺領/北区中川各町)方面につながっていますので、田尻谷川をさらにさかのぼっていくと 地理院地図に松尾峠の記載があります。 天保の丹波国絵図には「この松尾峠、山城国にては松尾山という」となっていますが、天保の山城国絵図にも松尾峠とされ「このとこ ろ、丹波国にても同名」とされています。しかし元禄の山城国絵図では確かに「松尾山」となっていますので、元禄から天保の間にすり 合わされていったようです。 〇桑田郡神吉下村(旗本武田氏知行地/南丹市八木町神吉)と葛野郡越畑村(旧高旧領では高野家及び旗本3氏の相給/右京区 嵯峨越畑の各町)を結ぶ 土橋(丹波国絵図)/馬ヶ瀬川(山城国絵図) 土橋や馬ケ瀬川の小名(小字)から千歳川沿いに往還があったはずですが、同地には明治13(1880)年に廻り池(廻り田池)が作 られています。往時は千歳川に土橋(木橋に土舗装)が架かっていたのでしょうか。現在の行政境はここになります。 天保の丹波国絵図では神吉と船井郡氷所村(幕末は御除領及び篠山領とされるが、篠山領の領知目録には船井郡は掲載されず/ 南丹市八木町氷所)の間の桑田郡内に「氷室山」「氷室」が見え、「氷室」の文字の両横に室が描かれています。元禄の丹波国絵図で 見るとよりリアルに穴室が2つ見えます。延喜式には「丹波国桑田郡池辺1所」に氷室があるとされており、平凡社日本歴史地名体系 京都府:丹波>桑田郡>池辺郷ではこの池辺郷の氷室が神吉に比定されています。 〇桑田郡出雲村(杉浦氏知行地/亀岡市千歳町出雲)と葛野郡原村(福寿院・広橋家領/嵯峨樒原の各町)をつなぐ往還が描かれ ていますが、いずれの絵図にも峠名・小名は記されていません。 出雲と樒原を結ぶのは、七原川沿いに伝う地理院地図で見るこの往還となりますでしょうか。山城国絵図を見ると、この往還は愛宕 山白雲寺(愛宕神社)と鎌倉山月輪寺の間を通り(今昔マップのエリアに入ってきましたので、以下は今昔マップをリンクします)、下記 明智越と合流して京へ向かっています。 〇天保の丹波国絵図では桑田郡南保津村(亀山領/亀岡市保津町の愛宕谷川より南)からの往還が2手に分かれ、北の往還は愛 宕山本堂へ、南の往還は水尾村とつながるとされています。山城国絵図では葛野郡水尾村(三雲施薬院領/右京区嵯峨水尾の各 町)から南保津村への往還は太線です。一方、愛宕山白雲寺の横を通る道は細くて途中途切れがちですが、上記の樒原〜京への往 還とつながるとされているようです。 南保津村から愛宕山を目指すのは、今昔マップから1/20,000 嵯峨 明治42年測図 大正1年11月30日発行で見た神明峠 になりますでしょうか。南の往還は明智越でしょうか。天保の山城国絵図では国境の際に「瘁i杉)之池」が見えますが、これが国境の 小名なのか、実際に池があったのかは調べきれませんでした。 〇桑田郡王子村(亀山領/亀岡市篠町王子)と葛野郡谷村(松尾社他多くの相給/西京区松尾各町・松尾谷松尾山町)を結ぶ 唐 櫃(からと)越 元禄の山城国絵図でも唐櫃越とされるが、天保の山城国絵図のみ唐櫃とする。唐櫃越については拾遺都名所図会 老の坂絵図に ついての欄で書いています。今昔マップから1/20,000 大野原 明治42年測図 大正1年9月30日発行で見た唐櫃越。 〇桑田郡王子村の内峠町(亀山領/亀岡市篠町王子)と乙訓郡沓掛村(安楽光院領・公料・高野家領/京都市西京区大江沓掛町) とを結ぶ 大江坂峠 大江坂峠(老ノ坂)については、老ノ坂峠の山城国境石について及び拾遺都名所図会 老の坂絵図で詳しく書いています。 〇桑田郡中畑村(亀山領/大阪府高槻市中畑)と乙訓郡外畑村(禁裏増御料及び地下役人8人の相給/西京区大野原外畑町)を 結ぶ 万艘峠(元禄の山城国絵図では万寿) 両府道733号線が該当しますでしょうか。天保の山城国絵図で見る万艘峠から西岩倉(金蔵寺)の南を通り坂本村(公家や地下役 人の相給/西京区大野原石作町)へ至る道は、現在の府道733号線の道筋と驚くほど変わっていないと思って地形図で見たら、谷沿 いの道で納得しました。 万艘峠の先は芥川を国境とし、桑田郡出灰(いずりは)村の内下出灰村(亀山領/高槻市出灰)と乙訓郡出灰村(藤谷家領/西京 区大野原出灰町)、さらには摂津国島上郡原村(美濃加納領/高槻市原)の3国境は、国木ヶ鼻(丹波国絵図)/から滝ノ尾(山城国 絵図)/から谷・国木ヶ鼻(摂津国絵図)。なお、摂津境編では「国本ヶ鼻」と間違えていますが、現在HP国境散歩は修正できません。こ ちらで訂正いたします。 一帯は石灰石の鉱脈があり、江戸時代から石灰を産出しています。丹波国絵図では出灰村の内下出灰村とされていますが、角川日 本地名大辞典 大阪府高槻市 出灰村(近世)では「出灰村内の上条・下条」となっています。 |
2026/03/01
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